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15.04.24 カテゴリー:34広島県

江戸がそのまま生きている港街。鞆の浦 2015.04.24

●鞆の浦とは

(鞆の浦の観光情報サイト 鞆の浦Navi tomomachi.jp より)
沼隈半島南端にある港湾で、その周辺海域を含め鞆の浦と呼ばれています。 昔の町並を残したままの鞆の浦。日本で一番江戸時代の面影を残す地として伝えられています。 一度訪れた人は皆鞆の浦を好きになると言われるくらい、趣ある町鞆の浦。 町並はもちろん、鞆の浦の人たちの人情であったり、どかか懐かしい、そんな想いを抱かせてくれます。 波のささやき、海鳥の歌、波間を渡る風の声、仙酔島にこだます船のリズムと、鞆の浦には耳に快いいくつもの音が溢れます。 坂本龍馬ゆかりの地として、また大伴旅人などによる万葉集に詠まれるように古代より潮待ちの港と知られていました。

●ということで、江戸時代に必要であった幅の道で構成されているので、乗用車が通行することは前提にされていないころの町並みがそのまま生きています。

乗用車の移動は「歩行者への気配り」「対向車への配慮・譲り合い」これが今も基本になっています。。この基本にのっとり、タカヤマは相棒を預け、歩いて江戸情緒を味わうこととします。

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●まずは、鞆の浦のお勉強のため、鞆城跡にある「鞆の浦歴史民族資料館」に。

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●高台にある城跡なので、この勾配を上る。案内表示によると
「鞆城は毛利氏によって築かれ、関が原合戦後に、安芸・備後の領主となった福島正典石垣が城郭を整えました。(以下略)福山市教育委員会」だそうな。石垣はしっかり残っているようです。

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●城跡は、ちょっとした展望公園の形に整備されていました。港が見渡せます。鞆の浦出身の盲目の筝曲師の像がありました。
●民族資料館に入館。鞆の浦の海運港・漁港としての歴史を学びました。現在でも観光をメインとした鯛網なる綱引漁法が伝えられているそうです。

mini_IMG_2322沼名前神社(ぬなくま)

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●続いて「鞆の祇園さん」と呼ばれる「沼名前神社」に参拝。

mini_IMG_2340森下仁丹の社長

●境内にある、かの森下仁丹の社長さんの像です。この鞆の浦の出身の方で、この地区の保存と発展に寄与されたそうです。

mini_IMG_2343山中鹿之助首塚

●山中鹿之助首塚
戦国時代の終わり、毛利氏に滅ぼされた尼子氏の家臣山中鹿之助は、主家の再興を願い兵を挙げました。1578年岡山県の高梁川阿井の渡で討たれ、毛利輝元や足利義昭に首実検をされました。岡山県の阿井の渡には胴塚があります。(案内表示より)

mini_IMG_2344ささやき橋

●ささやき橋
1500年前の官吏の、かなわぬ悲恋の思いがこの橋のたもとから「ささやき声」として聞こえたといわれる、橋といえぬほどのちいさな橋。

mini_IMG_2346譲り合い支えあい集積場

●狭い道、通行に支障をきたさないように、きちんと整理し、高く上に積まれた集積場のゴミ袋。タカヤマ感動しました。現在、鞆の浦で暮らす人たちの譲り合いの気持ちが端的に表現されていると思います。

mini_IMG_2349保命酒の酒屋

●お土産にした保命酒を購入した「(株)岡本亀太郎」さんのお店。

mini_IMG_2355鞆交番

●交番まで、江戸情緒。

mini_IMG_2352岡本亀太郎の蔵

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●タイムスリップしたかのような、町並みが美しい。

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●江戸時代から現在も照らし続ける、港の常夜灯。

mini_IMG_2358雁木

●同じく、雁木。(階段状の船着場:潮の満ち干木の影響を受けても、荷物の積み下ろしができる)

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●美しい港。

mini_IMG_2366いろは丸展示館

●いろは丸展示館
地元の有志の方々で行われた、沈没している坂本龍馬の「いろは丸」海底調査の様子と「いろは丸事件」についてを展示している。大河ドラマ「龍馬伝」を思い出しました。

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●桝谷清右衛門宅
「いろは丸事件」の賠償交渉にため、偽名を使って、龍馬が滞在していた家。とその部屋。週末のみ公開しています。この滞在の7ヶ月後に京都近江屋で暗殺されました。長い時間保管された本物の持つ重みが伝わります。

●鞆の浦の情報
鞆の浦観光情報センター
住所:広島県福山市鞆町鞆416-1
TEL:084-982-3200

●タカヤマ利用駐車場
「福山市鞆町鍛治駐車場」
場所:ホテル鴎風亭(福山市鞆町鞆136)隣
時間 終日、駐車台数 122台
他に公共駐車場が3箇所あり。