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15.04.26 カテゴリー:34広島県

平和記念公園めぐり。平和と鎮魂を願う慰霊碑をめぐる。世界遺産堪能ツアーVol.2-4 2015.04.26

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●平和乃観音像(中島本町町民慰霊碑)
建立年月日 昭和31年(1956年)8月6日○中島本町は爆心地にほど近く、住民はほぼ全滅、458人が犠牲になりました。戦後、この地は平和記念公園となったため、生存者も転地を余儀なくされ、町は姿を消しました。○像の手前には、生き残った町民により結成された中島本町会のメンバーが当時の記憶や米軍撮影の航空写真を頼りに作成した「中島本町被爆復元地図」があり、失われた町への思いと記憶を永遠に伝えようとしています。

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●一瞬にして消えた町です。

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○この広場に大きな繁華街が広がっていたのです。

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●韓国人原爆犠牲者慰霊碑
建立年月日 昭和45年(1970年)4月10日○「死者の霊は亀の背に乗って昇天する」という故事にならって、亀を形どった台座の上に碑柱が建ち、その上に双竜を刻んだ冠が載せられています。○碑は、朝鮮王家の一族李殿下が原爆被災後にその姿を発見された場所に近いという“ゆかり”から本川橋西詰めに建立されました。その後平和記念公園内への移設について各方面 から強い要望が出され、広島市と関係者との協議により、平成11年(1999年)7月公園内に移設されました。

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●平和の鐘
建立年月日 昭和39年(1964年)9月20日○核兵器と戦争のない世界の達成をめざし、その精神文化運動のシンボルとして「原爆被災者広島悲願結晶の会」が建立しました。鐘(故香取正彦(人間国宝)さんの作品)の表面には「世界は一つ」を象徴する、国境のない世界地図が浮き彫りにされています。。○撞座は、原水爆禁止の思いをこめて原子力マークにし、その反対側には、つく人の己の心を写し出す鏡が入れられています。○池には、大賀一郎教授が千葉市の遺跡から2000年前の種を掘り出し発芽させた、有名な大賀ハスが植えられています。被爆当時、ハスの葉で傷をおおい、火傷の痛みをしのいだという被爆者の霊を慰めたものです。○環境庁の、残したい日本の音百選に平成8年(1996年)選定されました。(平和記念資料館に展示され8月6日の平和記念式典で使用される鐘と「平和の時計塔」のチャイム音を加えた全体の音風景が対象)