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18.06.12 カテゴリー:23愛知県

「高松論争」?それ、なーに? 萬葉公園高松分園 2018.06.12

おせっかいタカヤマのウォーキングパーク「萬葉公園」。この公園については

萬葉公園三社参り、おせっかいタカヤマのウォーキングパーク紹介 2017.11.30で書きました。

その中でも、白山社は我が郷土の高松地区の氏神様です。
2018年(平成30年)6月9日(土)・10日(日)には、「第17回花しょうぶ祭り」が開催され、多くの方々が楽しまれました。

今年の花しょうぶ祭りの開催に合わせ、高松分園には歌碑がひとつ増えていました。それがこちらです。

萬葉公園の開園は1957年(昭和32年)の春。60年余りの歴史のある公園です。

歌碑の案内板によると、萬葉公園の開園は、郷土の詩人佐藤一英氏(1899年~1979年)が1955年(昭和30年)に『萬葉集にある六首の詩は、高松の地の【萩の原】の風情を詠んだ歌であり、この萩の群落を保護し、公園にしてほしい』と一宮市へ行った要望が、実現した成果だそうです。

しかし、この公園整備の計画発表に対して、萬葉学者から「六首の内二首は、高松の地との結びつきは極めて薄い」との指摘を受け、整備計画は中断。新聞などマスコミにも取り上げられ、歌の解釈をめぐって論争が繰り広げられました。「高松論争」と呼ばれたそうです。

一宮市は「萬葉歌六首の地とは明記しない。文化事業として萩を保護し、萬葉の古を偲ぶ市民の憩いの庭を造る」(設立趣意書)として、この萬葉公園の開園が実現。
60年以上前の「高松論争」を直接知る人々は少ないでしょうが、萬葉公園は私たちの憩の場になっています。
論争になった二首の歌碑の一つは、これまで「高松公民館」にあったのですが、その公民館改築を機会に、高松分園に移転。重ねてこの案内板を設置。こうして「高松論争」を後世に語り継ぎたいと案内板は伝えています。

「高松論争」二種の歌碑は下の二つです。

① 「高松の この嶺も背に 笠立てて 満ち盛りたる 秋の香の良さ」

②「夕されば 衣手寒し 高松の 山の木ごとに 雪ぞ降りたる」

この歌碑が設置されている場所は、高松分園の下の黄色く着色した場所です。

「舟木一夫の生地。萩原町」

「全国選抜チンドン祭りの萩原商店街」

「花しょうぶ祭りの萬葉公園」

そして、60有余年前の「高松論争」

「介護タクシーおおきなお世話」が支えられているこの一宮市萩原町高松。

時代はどんどん先に行きますが、歴史ある地域「萩原町」に支えられていることを感謝して、明日もお客様を安全・安心にお連れさせていただきます。